此岸と、彼岸。

※信仰のさんぽ道より抜粋
・此岸(しがん)と彼岸(ひがん)
我々は普段、「出発・到着」、「海上、陸上」という言葉を使いますが、お彼岸も「彼(か)の岸(きし)、
此(こ)の岸(きし)」という対義語であることに気づいている人は、仏教の知識がある人でしょう。

此岸は、「此の岸」と書くように、我々が住む世界です。

ここは欲望や、それによる喧騒があり、それによって多くの苦悩を忍ぶ場所です。

それをインドの古い言葉(梵語(ぼんご))では「サハー」と言い、中国語では「娑婆(しゃば)」と訳され、経典として日本に渡ってきました。

そのため現在でも、間違った使い方ですが「しゃばに戻る」などと使われています。

彼岸は、娑婆世界とは反対で、「悟りの世界」を言い、梵語では「パーラム(彼岸)、イター(渡る)」と言い、

中国語では「波羅蜜多(はらみった)(波羅蜜(はらみつ))」と訳されました。

・六波羅蜜(ろくはらみつ)
釈尊は、彼岸に至る(渡る)ために六つの修行方法を説かれました。
それを、「六波羅蜜」と言います。

余談ですが、日本で仏教が広まる中でも阿弥陀仏への進行から浄土思想が盛んになり、

「九品来迎図(くほんらいごうず)」や「地獄絵図」、「二河白道図(にがびゃくどうず)」など仏教絵画が描かれました。

また、法然(ほうねん)は「撰択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)」等を書き、多くの人々を惑わしましたが、それは現在も多くの人を「悪道」に導いています。

話を戻し、六波羅蜜を挙げると、
・人々に教えや財産・安心を施す(布施(ふせ))
・戒律を守る(持戒・尸羅)
・仏法のために辱(はずかし)めに耐え忍ぶ(忍辱)
・前向きに修行する(精進)
・仏前で心を安定させる(禅定)
・智慧を磨く(般若・智慧)

の六種であります。
これらの修行は、簡単なようですが、修行はある意味、末広がりになり、一つひとつ行うだけでも大変なのであります。

では、どういう実践をすればよいでしょうか。
それは、法華経の開経である「無量義経(むりょうぎきょう)」に、

「六波羅蜜の修行をしなくとも、法華経の信仰をすることによって、その功徳は自然にあなたの前に備わるのです。」

と説かれ、日蓮大聖人は、
「法華経の修行をする時、この世で二つとない宝は、自分から求めていなくても自然に得ることが出来るのです。」

と仰せになっています。

そして、その修行の要諦(ようてい)を、

「この修行をしなければ、成仏はおろか三悪道に堕ちてしまう。これこそが仏法修行の大事である。」

と実に厳しい御指南をされています。

つまり大聖人の仏法は、西方極楽世界などという無駄に遠い「架空」の彼岸に行くのではなく、

「此岸」であるこの世を、妙法蓮華経の功徳にあふれた浄土にする教えなのです。

季節ごとの先祖供養も節目としては大切ですが、それよりもなによりも日々、朝・夕の勤行で先祖回向しつつ、

自分や他人を利益する信仰を実践することこそ、仏様が我々に説いた本義であります。

自分勝手な信仰形式を作らず、素直な心で仏様の教えにのっとり、縁ある人への回向、先祖への回向を行いましょう。