蔵の財よりも、身の財。身に財よりの心の財

※御法主日如上人猊下ご指南

「蔵(くら)の財(たから)よりも身の財(たから)すぐれたり。
身の財(たから)より心の財(たから)第一なり。
この御文を御覧あらんよりは心の財(たから)をつませ給うべし」

とありますが、「蔵の財」というのは、これは読んで字の如く、物質的な富(とみ)を言います。

物質的な富は、人の幸せの上から言うならば、たしかに一つの条件ではありますけれども、幸せのすべてではないでしょう。

むしろ物質的な富によって、人間としての豊かさなどが失われてしまうことも多々あります。

次の「身の財」というのは、健康や身に付いた能力や技術、あるいは社会的な地位などでありますけれども、これも幸せのための絶対的な条件とはなりません。

それに対して「心の財」とは、心の豊かさであります。

妙法蓮華経を信仰し、その功徳によって得た心の豊かさが大事なのです。

その人間性の大きさ、あるいは包容力、豊かさこそが、自他共の幸せを築く最善の原動力であるということを、私たちはよくよく知らなければなりません。

しかも、それは表面的、あるいは一時的な幸せではなく、基本的、絶対的な幸せのためにも、まず私達は、心の財を求めていくことが最も肝要であります。

特に今、末法濁悪(じょくあく)の世の中にあって、一人ひとりがこの心の財を積んで妙法広布に生きることが、いかに尊く肝要であるかを知らなければなりません。

それには、まず己(おの)れ自身がしっかりとお題目(南無妙法蓮華経)を唱えていくことが大事であります。

お題目の功徳によって、怒る心も、きちんと収まるのです。