お題目、唱えてみましょう^^

寒さが増す季節は、お年寄りの亡くなる話もよく聞きます。
そんな亡くなられた命を思い、お題目の南妙法蓮華経、多く唱えられるときは出来るだけ多く唱えるようにしています。
・生死を正しく解決する大道
生と死ということを全体的、客観的に見て、これを示されるとき、世の中のすべては生死の二法であると説かれる。
天地、日月、五星より、あらゆる十界の存在がすべて生死の二法である。
生死とは、詳しくは生・住・異・滅で、すべての存在は生じ、存続し、偏し、消滅するのであり、日月も永遠の時間の中で例外ではない。

しかし、我々の生死の主観的立場から言えば、生についても、そのなかでいろいろな苦しみが多く、
行く先の安定が得られず、死についてもそれがどのようなもので、その先がどうなっていくのか分からないところに恐れがつきまとう。

また、仏教の因縁果報の法則によれば生まれる前や生存中の様々な善悪の行為の報が、死の時の一念に現れると言う。

ゆえに悪報は、その程度によって地獄、餓鬼、畜生等の拙い果を感じ、
善報もその程度により、人間、天上乃至、仏、菩薩の一念を感じそこへ生ずると言う。
しかしこれは一住の善悪の果報である。

日蓮大聖人は、この意味をことごとく含み具える法界全体の命を妙法蓮華経と示され、衆生の生死の一大事とは、仏の最高の悟りである上行付属の法体の妙法を受持し、
唱えることであり、そのところにすべての生死の苦難より救われる唯一の道があることを示された。

これは、妙法蓮華経があらゆる差別と平等を貫き、すべての善悪くを超越した大善の法であり天地法界のすべてに通ずるので、
このような広大な利益を得るのである。

ゆえに本門の題目は生死を正しく解決する大道である。
強盛の大信力を出して南妙法蓮華経を唱え、臨終正念と祈ることが、生死一大事の血脈である。