八幡、ほうでんじ。

今日は、一日のお経日で八幡のほうでんじに行ってきました。さまざまなご祈念をしてきました。そして、またまたよいお話を聞かせてもらいました。仏法における、功徳の真髄はなんなのかそれは「六根清浄」と「即身成仏」それぞれの意味としては、人間にある六感の清浄、そして、生身の肉体で仏の悟りを開くこと。
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚器。
そして、「意識」、前の五根によって得られた内容を統合判断する思惟能力、または知覚をいいます。
この六根が煩悩に覆われていると、外界の事象を正しく認識できないばかりか、それにともなう行動も誤ったものとなり、苦しみの原因を作ることになるのです。
こうした業苦を消滅させるためには、六根そのものを清らかな状態にしていくことが必要なのです。
正しいその方法としては、戒壇のご本尊を拝み、お題目の南妙法蓮華経を唱えることでしかありません。
世間に溢れた浅い知識で説いた方法では、決して正しい清浄作用はおこりません。この短い言葉と、ご本尊をあわせることでその中に釈尊の説かれた8万聖教の意義と、三世十方の諸仏・菩薩の悟りが備わってるのです。
だからこそ、法華講員はお寺にてご本尊をみてもらうことを進めます。公開してないからです。
正宗のお寺はどこも空間が清浄されていて、その作用で、害毒に犯された人もご本尊を一目見て素晴らしさがわかる人もいます。
それは、純粋なる縁の「純縁」といいます。

逆に、どんだけ話しても嫌がる人。ケナス人もいます。その人もまた命の源でもあるご本尊を拒否した仏罰の現象がでるので、わかりやすく、そうして本物であることが実感できるでしょう。
こういう人を「逆縁」の人といいます。
すべての出来事を正しく転換できるのが、このご本尊と題目であるということ。
本当に正しい教え、宗教とは、信じる者も信じない者も救われます。
罰といいましたが、仏は、皆が正しい道に戻るように軌道修正の報せを与えてるの過ぎません。それを個々の判断では、辛い・苦しい、など思い込みがいろいろとあるだけです。

その仏のご縁を確実、強固なものにするために、法華講員は、「ご受戒」を進めます。そうすることによって、必ず、正しい道への知らせがきます。
そのあとは、とくに強要しません。お寺への参詣もね。
創価学会のようなことはしない♪清浄は、自分でやるしかないからです。
自分で唱えただけ、唱えた分の功徳があります。
それにより、背負っていた罪障が消えて、罪障が形となって現象がでているわけで、頑張っただけの結果がわかるでしょう。
それが、悩み・苦しみ、病気であったり、人間関係だったり。
唱えたら唱えただけ、ご先祖の魂回向にもなり、自分の罪障も消え、大切な人の取り巻く魔を打ち払う力もきっと働くでしょう。

はるか昔から法華経を持受する者を守護する契約を行った、皆さんも知ってる神々がおりますが、天照や、竜神、八幡大社、鬼子母神などの書天のご飯ともなるお題目は、唱える人が増えるほど威光もまし、法華経を持受するものの加護も強固になります。
体験したことない方が世の中には多いと思います。
ぜひ一度、日蓮正宗のお寺で体験して欲しいものです。